大好きな児童書に、『グドーさんのおさんぽびより』というものがある。
元は小3の娘の愛読書だったのだけど、ふと気が向いて借りてみたら私もその魅力にすっかりハマってしまった。
グドーさんという中年(初老?)の男性が、気の置けない友人と一緒に人生を楽しむ日常をひたすらのんびりと描写する(だいたい散歩とお茶と読書とおしゃべりばかりしている)1エピソード2,000字程度の短編集。リズミカルな文章と独特のタッチのイラストが織りなす心地良い絵本なのだけど、その中に『ウアカリさんとインドリさん』という話がある。
グドーさんと友人のイカサワさんが、趣味のバロック音楽を愉しむ話だ。
2人で春のなかなか暮れない宵にコンサートホールに向かい、会場のレストランである賭けをしつつ軽食とワインをとってから心地良い音楽に身を委ねるという内容で、私はこのシチュエーションに密かに憧れていた。
演劇やミュージカルはしょっちゅう観るし、バレエの公演も何度か観たことがある。バンドブームだった10代の頃は、横浜アリーナから地方の小さなライブハウスまでいろんな会場のライブコンサートに足繁く通った。
でもクラシック音楽のコンサートはと言うと、ピアノの発表会やお付き合いで観に行った知り合いの公演を除くとほとんど体験したことがない。
もともと目から入ってくる情報にすごく影響されやすいタイプで、音楽にはうとい。ワイヤレスイヤホンも未だに持っていないし、自室の壁に取り付けた無印良品のCDプレーヤーで数少ない手持ちのCDを聞く以外は、音楽を嗜むことはほぼない。
なので、今まで自分でチケットをとってクラシックコンサートに行こうと思ったことはなかった。
それにクラシック音楽ってなんだか限られた世界の人だけのもののようなイメージで、敷居が高い。
今まで縁がなかった楽しみなので、よけいに憧れが募った。冒頭のグドーさんの話に戻る。
グドーさんとイカサワさんのささやかでちょっとぜいたくな趣味を、私も共有したくなった。
そんで、やってみた。
12月も後半、そろそろ今年も終わるなあと思いつつ毎日を過ごしてたら、ゲッターズ飯田の占い本に「とにかく新しい事をしろ、今年は初めての事に挑戦しろ」と繰り返し書いてあった事を思い出した。ようし、今年の締めくくりにいっちょ追加でやっとこう、と思いたって、すぐ行けそうなコンサートを検索した。
グドーさんは春の宵にコンサートホールに向かい、公演前に軽い夕食をとっていた。が、遊び歩いてばっかりの私だが一応子育て真っ最中の主婦なので、基本1人遊びは平日の昼間限定だ。平日の昼間にやっている公演自体、なかなかない。
彼らの住む町はもちろん架空の町なので、都会なのか地方なのか日本なのか地球なのかもわからない。でも『ウアカリさんとインドリさん』に出てくるコンサートホールは、私の中で絶対に東京文化会館だった。初めて読んだ時からここしかないと思っていた。
その東京文化会館で、ちょうど仕事が休みの平日の午前中の公演を見つけた。
『上野deクラッシック』という、文化会館が主催する東京音楽コンクールの入賞者が演奏するコンサートで、当日券1,100円というお試し価格。これはもう入口にぴったりではないか。
その日はテューバという楽器がメインの演奏だった。テューバ自体初めて知ったし音色も想像つかなかったけど、とりあえず行ってみた。
文化の杜・上野公園の玄関口とも言える、東京文化会館。
石造りの重厚な建物、かっこいい。
少ホール入口で当日券を購入して、中へ。
劇場内は撮影できないけど、こちらはロビー(ホワイエと呼ぶらしい)。バーコーナー、夜は営業してるのだろうか?
席は8割くらい埋まっていて、みんなのんびりと開演を待っている。落ち着いた雰囲気の中で公演が始まった。
普段BGMとしてしか接していない音楽に、真正面から向き合う機会はなかなかない。
いろいろ慣れてないから新鮮で、頭の中からっぽにして楽しんだ。
MCで「冬の風景を浮かべながら聞いてみてください」とか「非日常を楽しんでください」とか言ってくれるので、素直にそうした。
わー、心地良い。視覚を使わなくても、美しいものって吸収できるんだなあ。
1時間、あっという間だった。
11時に始まって12時に終わったので、そのまま会館内2階にあるレストラン、フォレスティーユ精養軒へ。
ここの、「コンサートホールのレストラン」のイメージを具現化したような雰囲気が好きだ。
迷わず『シェフの特製グラタン』1,680円を頼む。
グドーさんに倣って白ワインもとった。完璧だ。
普通にテーブル席もいいけど、奥の1人用カウンター席も良い。吹き抜けになっている1階ロビーを見下ろしつつ、窓の外の銀杏並木も眺められる。
グラタンは海老や帆立がゴロゴロ入っていて美味しい。最高気温9度の寒い日だったけど、ワインとグラタンでぽかぽかになった。
食事を終え、すっかり満足して外に出た。上野公園の賑やかなメインストリートをぶらぶらと歩く。
心はほかほか、体はぽかぽか。
やあ、満ち足りた気分だなあ。なんて気持ちの良い休日!
思わず笑みを浮かべたその時、ほろ酔いの手からするりとすべり落ち、宙を舞ったかと思うとー。次の瞬間ガチン!と派手な音をたてて着地した何か。
あわてて拾い上げたスマホの背面は、見たことないくらいバキバキに割れていたのだった。
(グドーさん風)